終活

お寺と終活(3)
おひとり様が安心して弔われるために

私の終活

おひとり様は、ひとなみの弔いを受けることが難しい

寺院デザイン 代表 薄井秀夫
これまで書いてきたように、現代の日本では、誰もが納得できる「弔い」を受けることができるわけではありません。
特に「おひとり様」が亡くなった時に、ひとなみの「弔い」を受けることがとても難しいのが現実です。
たとえ、その人が大金持ちだったとしても、葬儀すらしてもらえず、人知れず火葬されるだけだったということは、決して珍しいことでは無いのです。
「おひとり様」という言葉、最近よく使われるようになりましたが、実際にはいろんな状況があります。
代表的なイメージは、生涯独身で、兄弟も無く、その他の親類とほとんど付き合いが無いというものです。
その他にも、子どもはいるけど、離婚後は全くつきあいがないという「おひとり様」がいます。
子どもはいないけど、兄弟や甥っ子や姪っ子はいるという「おひとり様」もいます。
夫婦で暮らしているけれど、子どもがいないので、どちらかが無くなったら、「おひとり様」になってしまう人もいます。最近では、子どもがいるのに仲違いをして付き合いが無いという「おひとり様」もいます。
「おひとり様」の定義は、実は定まっておらず、他の人から見ると「おひとり様」に見えないのに、実質的には「おひとり様」であることは少なくありません。

少子化と親類関係の希薄化

こうした状況が生まれる原因のひとつには、家族のあり方が変化していることがあげられるでしょう。
特に、少子化と親類関係の希薄化は「おひとり様」を生む大きな原因となっています。
昭和くらいまでの時代では、結婚をしない、子どもを産まない人は、一人前と見なされない風潮がありました。そのため、相当な事情が無い限り、結婚をしない、子どもを産まないという人はいませんでした。
ところが現代では、そうした生き方が社会的に受け入れられるようになります。その一方で、高齢になったときに頼る人がいない人をを大量に生み出すようになりました。
また、少子化の進行と平行して、親類関係の希薄化も進みます。親類というのは、助け合うのが当たり前という時代もありましたが、現代では、むしろ、つきあうのが面倒な存在と考える人が多くなりました。面倒とまでは思わなくても、付き合いがほとんど無いため、いざという時に遠慮があって頼ることもできないという人も少なくありません。
そのため、子どもがいなくても親類が助けてくれる、ということが難しくなり、そのことが「おひとり様」を増やすことになっているのです。

「遠くの親戚より近くの他人」を邪魔するもの

そこで「遠くの親戚より近くの他人」という考え方も出てくるのですが、こと「弔い」ということになると、法律がそれを邪魔するという現実があります。
故人を弔う権利のある人は、法的には、祭祀権者と言います。民法ではこれを「慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者」と規定しています。「慣習に従って」というのは実に曖昧な表現ですが、基本的には、子ども、孫、という直系の子孫であり、それがいなければ、その他の親類ということになります。
ところが、前述のように、少子化と親類関係の希薄化という状況の中で、「慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者」であると想定できる人はいても、そう簡単に「主催すべき者」が決まるわけではありません。
それを受け入れることをいやがる親類もありますし、親類にそれを委ねることを「申し訳ない」と考える人もいます。会ったこともないのに、突然「親類が亡くなりました」と連絡があっても、ピンと来ないのが自然だと思います。
それゆえ現代では、「遠くの親戚より近くの他人」ということで、親しい友人などに、「私が死んだらお願いね」などと伝えている人が増えています。親類よりも絆が深い友人知人に自分の最期を委ねたいと思う気持ちは誰しも理解できることです。
ところが、こうした友人知人には、「喪主(施主)」になる権利が無いのです。
ちなにに、喪主というのは、葬式を主催する人のことを言いますが、役割としては、宗教的な役割と法的・経済的な役割のふたつがあります。
宗教的な役割とは、前述の祭祀権者のことを言います。もちろん友人知人には、この祭祀権はありません。それゆえ葬式を主催する権利は持っていません。
ただ現実は、勝手に葬式を主催したとしても、それを訴える人がいない限り問題にはなりません。こうした「おひとり様」の葬儀を勝手にあげたことに対して、訴えを起こす人はほとんどいないでしょう。
問題は、法的・経済的な役割のほうです。人が亡くなると、法的・経済的な処理をする必要が多く生まれます。葬式を勝手にあげても、問題にはならないだろうと前述しましたが、葬式には当然お金の問題がからんでいます。そして喪主(施主)ではない友人知人には、こうしたお金の問題を処理する権利が無いのです。

友人知人は喪主になれない!?

ちなみに、喪主(施主)の役割を、時系列で整理するとおおまかに次のようになります。

1.病院での遺体の引き取り

2.病院への治療費支払い

3.遺体の搬送

4.葬儀社との交渉

5.僧侶の手配

6.死亡届の手続き

7.葬儀施行

8.火葬

9.葬儀社への支払い

10.お寺への支払い

11.納骨

このうち、友人知人、つまり親類では無い人が絶対にすることのできないのは、6.死亡届の手続き、8.火葬の二つだけです。
ただし現実には、病院も葬儀社も僧侶も、お金がかかります。つまりそのお金を、友人知人が自腹を切るのであれば可能だ、と言うことに過ぎません。
本人が亡くなったら、その人の財産は凍結され、相続人を探すことになります。遺言が無い限り、親類以外の人が相続を受けることはありません。また相続人がいなければ、財産は国のものとなります。
そして友人知人には、この財産を使う権利は全くありません。一円たりとも使うことはできないのです。
つまり現実問題として、友人知人は喪主としての役割を果たすことはできないということです。
それが現在の日本の法律です。故人のことを思って、純粋に善意と親切心から「お弔いを」と考えても、友人知人には何の権利も無いということです。
たくさんの仲間とともに、まじめに仕事をし、一生懸命に生きてきた人が、だた「おひとり様」だという理由だけで、さびしい最期になってしまうということがおきてしまうのです。それどころか、弔いの場所すらつくってもらえない可能性も高いのです。
もちろん行政は、死亡届の手続き、火葬など最低限のことはやってくれます。担当者の方々も、最大限の敬意をもって対応してくれます。しかしそれは「弔い」ではなく、遺体処理に過ぎません。
現行の法律は、おひとり様がこれだけ社会の中で増えるということを想定していません。家族がいて、親類の関係が深いということが前提の法律です。その結果、おひとり様の「弔われる権利」が損なわれているのが現実なのです。

死後事務委任とお寺

実は、こうした状況にある「おひとり様」の「弔われる権利」をまもるための死後事務委任という仕組みがあります。
生前に契約書(公正証書)をつくって、自分が死んだら、親類以外の第三者に家族の代わりをしてもらい、お葬式などの「弔い」や様々な手続きを「委任」するというものです。同時に、このお葬式や諸手続をするための実費を生前に預かっておき、本人が亡くなった後でもつかえるようにします。通常は、家族や親類にしかすることのできない弔いや手続きを、法律にもとづいた契約書によって、第三者が行うことを可能にするというものです。
この仕組みは、平成5年に設立されたNPO法人りすシステムという団体がパイオニア的な役割を果たして、20年以上にわたって実績を積んできています。
私は以前から、全国のお寺が、このりすシステムの役割を果たせばいいのではないかと考えてきました。お寺が、死後事務委任の受け手として「小さなりすシステム」になるということです。
お寺はそもそも、檀家さんの弔いをする存在です。お墓のある場所ですし、葬式を依頼する存在でもあります。檀家さんとの関係性も生前から深いものがあります。
そうしたことを考えると、むしろ、お寺こそが「小さなりすシステム」となって、檀家さんの「弔われる権利」をまもるべきです。
実はお寺の多くは、檀家のおひとり様から、自身の葬式についての相談を受けたことがあります。
「檀家のお祖母ちゃんが、百万円をもって訪ねてきて、『これで私のお葬式をやってもらえないか』と言われた」というような話は決して少なくないのです。そうした人は、「お寺しか頼るところがない」と考えて、お寺に来るわけです。
まさに死後事務委任というのは、お寺がやるべき仕事ではないでしょうか。「弔われない不安」を持っている人の「弔い」を、お寺が責任をもって遂行するということです。
ただ、死後事務委任という仕組みは、さほどポピュラーなものではありませんし、複雑な法律が関係しています。お寺だけで、これを行うことは簡単ではありません。最低でも、士業などの専門家の協力は不可欠です。
そこで私は、お寺の運営支援をしている立場から、お寺で死後事務委任を行うためのサポートと、これに取り組むお寺同士が情報交換をする場をつくりたいと考えるようになりました。
そうした流れの中で、こうしたプロジェクトにとりくみたいと考えるお寺といっしょに「日本弔い委任協会」という団体を設立しました。
この協会では、お寺が、死後事務委任契約によって、おひとり様の支援をするための活動を進めています。既に多くのお寺がこの趣旨に賛同して、設立半年にして会員寺院が100ヵ寺に届きそうな勢いです。
この活動が広がっていった暁には、お寺の役割がまた大きく変わるかもしないと考えています。まだ設立して間もないので大きな実績はありませんが、ぜひ今後の活動に期待していただきたいと思います。

ABOUT ME
桑原 侑希
桑原 侑希 大手葬儀社にて、10年以上葬儀業に従事し約2000件の葬儀を行ってきました。葬儀のことは勿論、ご葬儀までの終活の相談や、葬儀が終わった後のご供養方法、各種手続きについての相談を受ける内に、その道のエキスパートに。皆さんの葬儀・終活にまつわる「なぜ?」にお答えします。
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